たんたんと..日常

地味に密かに日常を写真で綴るブログです。

理不尽さと清らかさと

今週のパート連勤が終了。でも一昨日担当者から突然また新しい現場に行ってくれ

とのこと。実は今年の初めハローで見つけた週2のパート。時間帯も良かった

ので面接に行きその時はまだその現場は前任者が年度末までいるのでそれまで違う

現場で勤務してくれとのことだった。そして4月になり勤務出来るのかと思いきや

つなぎだった現場と求人の現場とのかけもちになり週4の勤務になっている状態。

ようやくつなぎだった現場に新しい方が入り引継ぎをして求人の現場に専念できるか

と思いきや求人の現場に新しい方が週2で入るので引継ぎをしてほしいとのこと。

ちょっと待って!求人の現場に私も求人で来たんですけど!それも今年初めに!

後から来た方が求人の現場に週2で入って私は週1と新たな現場をかけもちですか?

おかしいやろ!なので担当者に言った。こんなんなら私も考えます(辞める)と。

若い頃は社員で働き理不尽だと思うことも我慢した。しかし歳もそこそこになり

パートとして働き出しているが今は我慢して働くぐらいなら潔く辞めて次へと

シフトをかえている。それってわがままなのかな?

 

連勤している間に季節は流れてしまった..。

5月末に京都東福寺塔頭同聚院でモルガンお雪の法要が行われた。

 

モルガンお雪は祇園の芸妓で胡弓の名手として知られており大財閥モルガン創始者

おいにあたるモルガン氏に見初められプロポーズをされたがお雪はなかなか承諾し

なかった。そこで巨額の見受け金(現在の価値で数億円)を用意し結婚を迫りそれが

新聞ネタとなりお雪は金で身売りをした芸妓と揶揄された。精神的に追い詰められた

お雪を見かねた同聚院の住職は五大堂で籠り自身を見つめなおすことをすすめた。

 

国際結婚が珍しかった明治時代、渡航したお雪は人種差別に遭いながらも移り

住んだフランスの社交界に出て華々しい生活を送ったが10年後にモルガン氏が死去。

莫大な遺産を相続しフランスに留まったが世界情勢の緊迫から昭和13年に帰国。晩年

は京都で慎ましい生活を送ったという。

81歳で亡くなるが三回忌の際にはフランスから同聚院へ新品種の白バラが献花され

「ユキさん」と名付けられている。白バラ「ユキさん」は見頃過ぎだったが境内には

石鹸のような上品な香りが漂っていた。

...とそこへ

祇園甲部の舞妓さんが3名来られた。

そして同聚院の裏にあるお雪の墓地で法要が行われる。

その後堂内で法要が行われ黒髪と祇園小唄の奉納舞が行われた。

(舞の写真撮影はご遠慮くださいとのことだったので無し)

境内で記念撮影。祇園甲部亜沙子さん槇沙子さん華奈子さん。

 

 

 

 

 

この日は晴れたにもかかわらず暑くはなく5月に相応しい爽やかな気候だった。